東洋と西洋の奏法の違いとは

Q.西洋と東洋の弾き方の違いとはいったい何でしょうか?

西洋人と東洋人では、身体の使い方、リズムの取り方、フレーズの歌い方に明らかに違いがあります。

 

現在日本のピアニストの多くが、日本人として持っているそのままの身体の使い方やリズム感で西洋音楽を演奏しています。そのとこにより、本来の西洋音楽の立体的な3次元、4次元とも言える音楽が、平面的な2次元の音楽になってしまっているのです。

 

もちろん西洋的な弾き方ができるからと言っても、全ての演奏が素晴らしい演奏かと言えば、決してそうではありません。東洋的な演奏でも魅力的で魂のこもった演奏も存在します。

 

ただここで問題にするのは西洋音楽の理想的な奏法についてです。

 

もし東洋的な東洋的な奏法で魅力的な演奏ができていて、その上に西洋的な響きが加われば、鬼に金棒と言えるのではないでしょうか?東洋人の持つ器用さや感性は素晴らしい事ですが、その特性を本当に生かすには、根本的な奏法の違いを見極めなければなりません。

 

皆様の中にも巨匠の演奏と聴き比べてみると、とても大きな隔たりがあるように感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

何か自然ではないーすなわち美しくない部分があるのを・・・?

 

その理由はいったいなになのでしょうか?それは

 

A. それは西洋人と東洋人の身体の使い方の違いが原因と考えられます。

一口に違いと言っても外見からわかる身長や手や足の長さのバランスという事はさほど関係ないと思われます。東洋人でも西洋人でも背の高い人もいれば、低い人もいますし、手足の長い人もいれば短い人もいるからです。

それよりも西洋人と東洋人の動作のメカニズムの違いに目を向けなければなりません。

そうです。

ピアノの鍵盤を打鍵するまでのメカニズムが西洋と東洋では大きな違いがあるという事です。

 

Q.なぜ西洋人の弾き方をマスターしなければならないのでしょうか?

日本人、東洋人でも今では難局を苦も無く弾ける人が多くなって来ました。

しかしそれで本当にマスターできたと言えるのでしょうか?

 

A.偉大な作曲家自身も西洋人としての肉体を持ち、その中にはピアノ演奏に長けた人々も多いわけですが、全ての作曲においても奏法においても西洋人としての身体の使い方が基本になっており、それができなければ、ベートーヴェンでもショパンでも本当に演奏できたとは言えないからです。

 

響きがあって、初めて本当のクラシック音楽と言えるのです。例えばベートーヴェンのソナタなどは

「響きがあるという事が前提」になっていると言っても過言ではありません。強弱やシンコペーションや和声を巧みに使い、音楽の奥の深さを表現している訳ですから、音色の幅を持たせる意味でも立体的な響きにならなければなりません。

 

私自身日本の音楽曲幾を受けて育ちました。成長するにつれ難しい作品を演奏するようになり、

お手本とする巨匠の演奏には到底追いつかない何かに、いつも疑問と焦りを感じていました。

その後、色々な先生に師事する度に、それまでの技術を壊し一から徹底的に学び、

それを繰り返し繰り返し試行錯誤しながら、現在に至っております。今も尚発見の毎日です。

頭で理屈がわかっても、実際に肉体を通して実践し、また実際したからと言ってすぐにできる事と、

何年も経ってから自分の肉体が応じてくれる事がある訳です。

 

私が学生だった時代から随分と時間が経ちますが、国際化が進んだはずの今の日本の音大でもなかなか

その違いにつて教わっている人は少ないと思います。

留学してもその違いについて気づかずに過ごし、そのままの東洋的、日本的な奏法のままで帰国される方も多く見受けられます。

 

正しい技術をいかに早い段階で学び、気づき、自分の肉体を通して音楽を表現することができるようになるかによって、本物の西洋音楽に近づけるか否かが決まるのです。